土曜の夜9時、同級生がオンラインゲームをしている頃、白尚仁はテコンドーで汗を流している。右足を上げてフェイントをかけ、同じく右足で攻めてきた相手をかわすと、白尚仁は宙に跳び上がり、両足を0.5秒差で蹴り出して相手の防具に命中させた。身長178センチ、天性の爆発力に恵まれた蹴りで、相手はバランスを崩した。

ここは台北のMRT石牌駅近くにある道場。小学1年生からさまざまな年齢の20人ほどが練習している。初級の赤青帯から上級の黒帯までいる。

対戦は重要な練習だ。コーチが攻撃のテクニックを説明すると、メンバーは互いに技をかけ合う。対戦では身長や体格の似た相手を選び、さらに高度になると自分より強い相手と、弱点克服などの練習をする。

判定の公正さを守るために電子防具を用いるほか、問題が生じた時の参考にするために試合は録画される。

「尚仁は条件に恵まれています。背が高くて爆発力があり、落ち着いています。精神面の条件が非常に重要です」と話すのは監督の陳偉雄だ。

まだ16歳の尚仁は早くから同年齢の全国チャンピオンで、2010年に万芳高校に推薦入学した。学校でも練習するが、やはり毎日道場に来ている。

「彼のように長い時間を練習にかけられる子供は減っています」と陳偉雄は言う。都会の子供は塾や習い事が多く、条件が良くてもテコンドーだけに打ち込むことは少ない。

東洋の武術は精神修養を重んじるが、テコンドーも例外ではない。身体も精神も鍛えるというのは他の稽古事にはない特色で、親もこれに惹かれて子供を通わせる。時間をかけてテコンドーを学んでいくうちに、才能と意欲によって道場に残るかどうかが決まる。段が昇格し、大会で好成績を上げるようになると、進学も就職もテコンドーと結び付いていく。

陳偉雄もこうした道を歩んできた。1977年に彼が北投に道場を開いてから30年余り、協調性と礼節を重んじる彼は、子供を持つ周辺の住民から支持され、そうした中で金メダリストの娘を育て上げた。

テコンドーでは試合前の厳格な体重測定によって級に分けて戦う。左は元代表選手でコーチの蘇麗文が選抜戦で自分の教え子を見守る様子。

陳偉雄は早くから3人の娘を道場で学ばせ、厳しく訓練してきた。「退場する時に礼をしなかったり、掛け声で大声を出さなかったり、汗のかき方が少なかったりすると、父は腕立て伏せを命令し、棒も持ち出してきました」と話すのは彼の娘で2004年のアテネ五輪で金メダルをとった陳詩欣だ。

陳偉雄は娘も含めて1000人以上にテコンドーを教え、そのうち20人が国を代表する選手になった。

金メダルを取った陳詩欣は今では自分の道場を持ち、小学校の教員もしている。道場のコーチになり、教員となり、国家代表選手、代表チームのコーチ、そしてテコンドー協会の幹部へ、陳家の人々は常にテコンドーと関わる仕事をし、そのシステム全体を見てきた。

我が国で盛んなスポーツと言えばテコンドーとバスケと野球だが、テコンドーは人数も場所も取らず、文化的にも体格的にも東洋人に適している。2010年、全台湾で登録されている道場は1031を数える。

「ほとんどの選手が道場で入門し、そこが第一線の選手選抜の場になっています」と話すのは、オリンピックに3回出場し、懐生テコンドー推広協会で上級コーチを務める王正雄だ。道場の普及でテコンドーのすそ野が広がり、そこから国の代表選手が育ってくる。

テコンドーは幼い頃から正しい動作を身につけなければ試合で好成績をおさめることは難しい。写真は金メダリスト陳詩欣の父、陳偉雄の道場。下は有望な新人･白尚仁。

テコンドー人口のピラミッドの中で、子供たちの育成において道場は大きな役割を果たす。

だが台湾におけるテコンドーの歴史を振り返ると、最初は国の政策が影響力を発揮した。

テコンドーは「跆;拳道」と書き、跆;は足技、拳は手技、道は方法を意味する。朝鮮では昔からこれに類似する武術で兵士を訓練してきた。

1961年に韓国で設立された唐手道協会がテコンドー協会と改名されて国体の種目になり、韓国の軍隊でも採用された。

1966年、蒋経国･国防相が韓国を訪問した時に軍隊でのテコンドー訓練を見て、この「礼、義、服従、忍耐」を重んじる運動を海軍陸戦隊に取り入れることを決めた。「当初、蒋経国は韓国からコーチを招き、その時に学んだ軍人が後のコーチになりました」と王正雄は言う。彼も最初は軍を退役したコーチに学んだと言う。

テコンドーは警察へも広まった。1987年、中華民国テコンドー協会理事長も兼務する軍の羅張が警政署長に就任し、テコンドーを警察の訓練項目に導入した。こうして数十万の軍人と警察官が学ぶようになり、広く普及していった。

昨年の広州アジア大会で不公平なジャッジを受けた楊淑君（右）は復帰を決意し、2012年のロンドン五輪で雪辱を果たしたいとしている。写真は今年の代表選手選抜戦で宣誓するところ。

この時代、台湾でも韓国でも政府がテコンドーを奨励したのは強敵の脅威にさらされていたからだ。また入門しやすく、見応えもあることで一般にも広く普及していった。現在の試合では3分の3ラウンドでスピーディに勝敗が決まる。

1973年、韓国ではソウルに世界テコンドー連盟が設立され、同年、第1回世界テコンドー選手権を開催し、国を挙げて国際競技としての推進が始まった。1986年に初めてアジア大会の種目とされ、1988年にはソウル五輪で公開競技となり、2000年のシドニー五輪から正式種目として採用された。

国際競技となったテコンドーで断然有利なのはもちろん宗主国の韓国だが、早くから導入した台湾も負けておらず、1988年に陳怡安がオリンピック公開競技で我が国初の金メダルを取り、2004年にはオリンピック正式種目で我が国で初めての金メダルに輝いた。

テコンドーでは試合前の厳格な体重測定によって級に分けて戦う。左は元代表選手でコーチの蘇麗文が選抜戦で自分の教え子を見守る様子。

国際大会での我が国の成績を見ると、2004年のアテネ五輪ではテコンドーが最も良い成績を上げ、陳詩欣、朱木炎、黄志雄が金･銀メダルに輝いた。

だが、その後の2008年、北京五輪では我が国のテコンドーは銅メダル2つしか取れなかった。北京五輪代表チームのコーチを務めた周桂名は、以前は韓国だけがライバルだったが、2004年に比べると2008年は中国大陸が大きく力を伸ばし、二つの強敵と戦わなければならなくなったと指摘する。

「私たちのテコンドーは韓国から学んだ技術を基礎としていますが、国際大会では常にライバルでした」と王正雄は言う。世界のテコンドー競技は韓国主導で発展してきており、またテコンドーの審判の判定には主観が入り込む余地があるため、我が国の代表チームが不利な判定を受けることも少なくない。

格闘技の判定は公正さが疑われ論争の的となりやすい。2009年の東アジア競技大会で、台湾の曾敬翔が韓国選手の反則行為で倒された時、台湾の鄭大為が副審の一人だったが、彼が韓国選手の得点と判定し、中国大陸の主審が韓国選手の勝利を宣言した。この試合の経過がテレビで放送されると国民は憤激し、副審の鄭大為を処罰すべきだという声が上った。テコンドー協会は一度は鄭大為を権利停止としたが、この問題は半年に渡って収まらなかった。

足技が得点の決め手となるテコンドーでは、足に付けたセンサーがジャッジを補助する。写真は今年、新竹の明新科技大学で行なわれた代表選手選抜試合。

鄭大為の事件がようやくおさまった頃、今度は楊淑君の事件が発生した。

2010年11月の広州アジア大会、49キロ級の初戦に出場した楊淑君が第1ラウンドで9対0とベトナムの選手を大幅にリードしていた時、韓国系フィリピン人の審判に防具不合格を理由に失格とされたのである。

テコンドーのジャッジには主観が入り込む余地があることが以前から指摘されており、判定の公正さと精確さを高めるために、最近は電子防具をつけるようになったが、この時に問題になったのは、その一つの電子ソックスだった。電子ソックスにはセンサーがついており、それが一定の力で相手の防具と接触すると信号を発し、得点が計上されるようになっている。

昨年のアジア大会では初めて新型の電子ソックスが採用され、楊淑君は旧型をつけていたため失格と判定されて勝てるはずの試合に負け、敗者復活戦の出場権も失った。楊淑君が涙を流す場面に、再び韓国に対する民族感情に火がついた。

「間違ったソックスをつけていたのは私たちのミスですが、失格でその後の試合も出場できないというのは重すぎます」とあるコーチは話す。だが問題は、国民感情に火が付いてアジアテコンドー理事会に抗議したため、台湾人は騒ぎ立てるという印象を持たれてしまい、将来の国際大会に影響することだ。

世界のテコンドー界は、かつての二強に中国大陸が加わって三強時代を迎え、多くの事件の疑問も中国や韓国と関わっており、国民は両国が台湾を挟み打ちしていると感じている。

足技が得点の決め手となるテコンドーでは、足に付けたセンサーがジャッジを補助する。写真は今年、新竹の明新科技大学で行なわれた代表選手選抜試合。

だが、二度の事件は国際社会を騒がせることとなった。「政府の体育委員会も、これらの事件は審判の判定に関わっており、このままでは今後の我が国の国際大会出場に不利になると心配しています」と周桂名は言う。金メダルの栄光が過去のものとなり、競争が激化する中、台湾のテコンドー関係者も心配している。

王正雄は、中国大陸と韓国は全く異なる方法でテコンドーを発展させているという。2004年に彼は陝西省代表チームの監督に招かれた。大陸では国家主導でテコンドーを発展させており、韓国は企業が中心となってプロスポーツとして育っているという。

台湾では、ごく少数のトップ選手だけが競技を続け、大部分の選手は大学に入ると続ける意欲を失ってしまう。一方の韓国では企業のサポートがあり、中国では国が後押しするので選手は成人してからも成長し、これが国の実力を伸ばす最良の方法だと周桂名は指摘する。

台湾のテコンドー界は挫折するたびに立ち直ってきたと王正雄は言う。ソウルとバルセロナの五輪公開競技でそれぞれ金2、金3を取った後、シドニーでは金メダルが取れなかったため、テコンドー界はすぐに人員交代して、2004年には再び好成績を上げることができた。

今回も改革を求める声が上っている。間もなく行なわれるテコンドー協会の改選で、現職理事長の陳建平は出馬しないことを決めており、新たな指導層が誕生する。台湾テコンドーの再出発を期待して見守りたい。