ビリエ医師——得たものの方が大きい
かつて貧しかった台湾では、一人の医師を育成するのも容易なことではなかった。若瑟病院の設立当初も医師不足が深刻で、マシン神父は教会を通して外国から医師を招くしかなかった。台湾の第12回医療貢献賞に輝いたマルグリット・ビリエ医師も、こうした働きかけを通して台湾へ来ることとなった。
「マシン神父は5年おきにベルギーに帰国する際に私を訪ねてくださいました。当時、私はまだ学生で卒業後は小児科の訓練を受け、また中国語を学ぶ必要もありました。神父は5年も待ってくださったのです」と言う。1980年、ビリエ医師が台湾に来ると、間もなく小児科が設けられ、小児科の集中治療室もでき、専門を活かして多くの子供を救うことができた。
「彼女は台湾で唯一、子供の服を脱がして全身を診察する医師です」と宋維村は言う。これはベルギーの小児科の特徴である。子供は大人と違い、症状をうまく説明することができないため、診察には全身を診ることが必要という考え方なのである。
院長助手の蔡玉純によると、ビリエ医師は医療の質を最重要視しており、死亡率の高い早産児もここでは行き届いたケアが受けられる。例えば、ミルクも一度に10㏄ずつ増やすのではなく、1㏄、2㏄と増やすことで、壊死性腸炎の併発を抑えることができる。
ビリエ医師は自分の奉仕は特別なことではないと語る。「外国から来た私たちは立派だと言われますが、ここで働く看護師さんの方が立派です。病院で人の子供を世話し、家に帰れば自分の子供や家族の世話をするのですから。自ら進んで夜勤に就く看護師さんもいます。彼女は2人の子供がいますが、夜間に働くのは翌日家で病気のお姑さんを世話するためなのです。偉大なことではないですか」と。
「医者も看護師も、苦労より得るものの方が多いのです」とビリエ医師は言う。最も印象深かったのは、筋萎縮症にかかった聡明で明るい子供だ。この病気は遺伝子の関係で全身の筋肉に力が入らなくなり、最後は呼吸や心臓の筋肉にも影響して呼吸ができなくなってしまうというものだ。その症状が悪化したのでビリエ医師が診に行くと「その子は私に笑顔を向けてくれたのです。見舞いに来た先生や友達にも笑いかけたそうです。数日後、その子は亡くなりました。この子は、いかに前向きに生きるかを知っていて、苦しみの中で笑顔を見せてくれました。この子が私に与えてくれたものは、私が与えたものよりずっと多いのです」と語る。
ピエロ神父は十年一日の如く、毎日病室を回って患者を見舞う。(若瑟病院提供)