美術教育
毓繍美術館には知られていない事業がもう一つある。地方の学校での美術教育の推進である。
これも李足新の遺志を継いでいる。「苗木を植えて、美意識を子供一人一人の心に植え付ける。いつの日かそれは、木陰を成すかもしれない」手書きの創作メモに、こんな願いが記されていた。
その願いに、美術館は「美術の授業は美術館で」計画をスタートした。
教育は百年の大計である。重責を負ったチームは、美術館のスタイルを貫き、きめ細かく、深く掘り下げる。当期の展示に合わせて教案をデザインしたり、学校との打合せや、インストラクターとガイドのトレーニング、事後連絡やフォローアップなど、手抜かりは許さない。
子供たちには、鑑賞マナーを理解し、適切な指導によって、芸術作品に興味を抱いてもらいたいと願う。また「美術館はおもしろい」と気づき、幼い心に美意識の細胞が目覚めてほしいと願う。「子供に与えるのではなく、ここで何かを見つけてほしいのです」プロジェクトを担当する教育推進スタッフ劉昕昀は理念を語る。
楊北辰の「沈静蒼茫」の展示では、木彫作家が彫り出した、本物と見紛うボストンバッグ、古書、皮の上着など、古びたモノが、時間に洗練された温かい光を放つ。そして、人と物との間の言葉にならない深い情感を暗示していた。
展示に合わせ、鑑賞後に先生が子供に観察を促す。「バッグの持ち主は誰だろう」質問で想像を刺激し、日常から抜け出し、奇想天外な自由な発想を後押しし、そこから創作の動機へとつなげていく。「観察」から始め、「想像」を働かせ、「創作」に結び付けるのは、すべての芸術の誕生の過程そのものである。
この教室では、テクニックは一番重要なものではない。テクニックは、磨けばいい。創作には、高価な材料も要らない。大切なのは、凝り固まった想像を解き放ち、感動から、内に秘めた創作意欲を突き動かすことである。美術の授業は美術館で。毓繍美術館は初心を貫き、伝えている。芸術作品の鑑賞は難しくない。美は、生命を見つめることに始まる。その良さを知ることで、還元される場所は、すべて毎日の生活なのである。
子供たちが美術館に足を運べば、豊かな土壌に美の種がまかれ、いつの日か大きく育つ。(毓繍美術館提供)
子供たちが美術館に足を運べば、豊かな土壌に美の種がまかれ、いつの日か大きく育つ。(毓繍美術館提供)
子供たちが美術館に足を運べば、豊かな土壌に美の種がまかれ、いつの日か大きく育つ。(毓繍美術館提供)
子供たちが美術館に足を運べば、豊かな土壌に美の種がまかれ、いつの日か大きく育つ。(毓繍美術館提供)
子供たちが美術館に足を運べば、豊かな土壌に美の種がまかれ、いつの日か大きく育つ。(毓繍美術館提供)
ジャネット・ローレンスは植物や標本を素材として没入型の展示を行ない、人と自然との関係を考えさせる。