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産業イノベーション

十年一剣を磨く

十年一剣を磨く

台湾梨の高級ブランド、新種イチゴの育種

文・郭美瑜  写真・林格立 翻訳・齋藤 齊

9月 2023

劉申権(中央)が育種した「宝島甘露梨」は、果実が大きく、果肉が繊細でジューシーなため、多くの梨農家が植え付けのライセンスを求めて来ている。

梨は、価値の高い商品作物であり、温帯の山間部の産地と結びついてきた。梨農家・劉申權は、熱帯の平地でも栽培できる台湾独自の梨の新品種である「宝島甘露梨」の研究開発にこの20年間心血を注いできた。また、農業試験所も、昨年、気候変動への耐性を持ち、うどんこ病に強いイチゴの新品種を10年かけて開発に成功し、「台農1号」として発表した。

「十年一剣を磨く」と言う。育種家による新品種の育成は、農業と食糧生産の問題を解決するための不可欠な手段のひとつであり、農業の弛まぬ継続的な発展と国の競争力を象徴する。育種家の献身的な努力、生産者や消費者が育種家の知識と知恵を尊重することこそが、農業を将来的に発展させる推進力となる。

苗栗県卓蘭鎮の山や谷をドライブしていると、村落に沿い、たくさんの梨の低木が植えられている。木の上には、黄土色や白、銀色の袋がかけられているが、これは「梨の高級ブランド」とされている「宝島甘露梨」が虫に食われたり鳥につつかれたりすることから守るためだ。

「台農1号」は、農業試験場・副研究員である蕭翌柱が育種したイチゴの新品種で、今日の栽培環境の課題に適応できる。 (農業試験所・蕭翌柱提供)

整備工から台湾梨の育種家へ

本年74歳の劉申権は、台湾本土種の梨である「宝島甘露梨」を22年間かけて開発に成功した。梨農家が自ら品種開発したという例は少ない。台湾の梨市場では、「向かうところ天下に敵なし」とされ、その大きくて繊細な果肉は、消費者に非常に人気があり、多くの梨農家が次々に「宝島甘露梨」の栽培に切り替えている。

劉申権は、若い頃、整備工(オートバイ修理)と電化製品の修理を掛け持ちしていたが、昼夜を問わない働き詰めで、心身疲労困憊し、38歳の時、梨園を購入して、梨の世界に転身した。

梨の木において、梨の花芽穂木(花芽を持った枝木)を開花・結実させるには十分な低温時間の積算が必要となる。当時、台湾の梨の花芽穂木は、日本や中国からの輸入品に頼っていた。「横山梨」にこれを接ぎ木することで、低標高での温帯梨の栽培が可能になった。

しかし、花芽穂木を輸入に頼れば、安定した品質や供給が得られない。劉神権も5年間やってみて、そうした問題に悩まされ、台湾でも独自の花芽穂木が必要だと感じた。そこで育種を始める決心をした。

育種の経験がないため、劉は、まず台中区農業改良場に相談した。そこで育種の知識を学び、果樹園全体を実験場とし、「新興梨」を母樹として、様々な品種の受粉、苗木の育成、高接ぎ、選抜を行い、合計1,000以上の交配の組み合わせの中から「宝島甘露梨」を選抜した。

苗木の栽培から梨の木が育つまで7~8年かかる。一家の家計は、劉夫人の飲食業のパートに依って支えられた。そしてそんな時、「921大地震(1999年)」が起こった。

当時の家は真っ二つに裂け、育種の実験室も傾いてしまった。事業をあきらめるかどうか悩んだ劉申権ではあるが、結局、土地を売って生計を立て直すことで頑張ろうと決めた。そうは言うもの、劉申権は、危うく「宝島甘露梨」とすれ違いかけている。

劉申権は、接ぎ木技術を使って、台湾本土種の梨である「宝島甘露梨」を育成した。

蒼海の真珠を拾い上げる

「宝島甘露梨は、元々は劉申権の選択から外されていたんです、しかし、試食した劉の友人が美味しいと言うので、選ばれたんです」と、劉申権の品種登録出願を支援した農業委員会・苗栗区農業改良場・元場長の林信山は言う。

劉申権が試食した宝島甘露梨は、高接ぎから190日後に収穫されたものだったが、友人が食べたのは、210日後に収穫されたものだった。つまり、「劉が試食したものは、その品質を発揮するまで十分に時間が経っていなかった」のだが、幸い、劉申権はこの品種を捨てずに残していた。「これこそ、まさに天の恩恵でしたよ」と林信山は言う。

「宝島甘露梨」という名前の由来は、熟した実にサトウキビの香りあり、果肉が甘くジューシーで、甘露を思わせることから由来している。果実の特徴として、1個の重さが平均1kg、大きいものでは3kgにもなること、切っても褐変しにくいこと、冷蔵庫で4ヶ月から半年保存しても劣化しないことなどが挙げられる。

劉申権は、2018年、農業委員会(本年2023年8月に農業部に昇格)から「宝島甘露梨」の育成者権を取得し、各農家から25年間で5万元のロイヤリティを得られることになり、そして「宝島甘露梨」の商標入りパッケージも作った。

現在まで、500名以上の梨農家で合法的生産が行われており、台湾の梨市場の70-80%が宝島甘露梨であると見られている。

イチゴ「台農1号」の真っ赤な果実は、生食に最適で、また最高品質のジャムやお菓子作りの第一選択になる。 (農業試験所・蕭翌柱提供)

宝島甘露梨が「保証するもの」

6月末の暑い日、台中市后里にある2代目果樹農家・鄭豊源の梨園では、5、6人が「宝島甘露梨」を収穫していた。地面には採れたての梨が山積みされ、豊作を呈していた。

鄭豊源は、もともとタンカンを植えていたが、1日あたり平均で1,000台湾元にしかならず、2019年に劉申権からライセンスを得て梨の栽培に切り替えた。植え付けが簡単で、手入れもしやすく、市場の状況も良いため、息子や甥たちを故郷に呼び戻して、農業に従事させている。香港やシンガポールの顧客から輸出を求める声があるため、鄭は、今ある4ヘクタール弱の土地全てを劉申権が開発した品種の梨に替える予定だ。

鄭豊源は、ライセンスを払うことについて、「少額の出費で、正々堂々と接ぎ木することができます。育種家の役割を支援し、尊重するため当然のことです」と言う。

台中市宝島農業運銷合作社(協同組合)組合長の詹徳明は、一度に8ライセンスを購入し、8名の農家に作付を行わせている。価値の高い商品作物である以上、「ライセンスが5万台湾元というのは、大した金額ではありません。これは投資です。絶対に儲かります」と詹は言う。

台湾本土種に属する梨の品種の研究開発に成功した劉申権は、もはや梨の花芽穂木を輸入する必要はなくなり、ライセンスを取った農家にも大金が入ってきた。「ライセンス収入は、まだ元手を取り返すまでには至っていません。しかし、農民からの信頼を得たこと、これが私には価値があるのです」と劉は嬉しそうに話す。

財団法人全方位農業振興基金会・理事の林信山は、劉申権の「宝島甘露梨」育成者権出願を支援した。

中東への輸出を目指し

梨は、水分が多いことで知られ、「果物の王」と呼ばれている。「宝島甘露梨」の水分は、重量の80%を占める。劉神権と林信山は、この梨が中東に輸出されれば、「ジューシーな果実は、人気が出るに違いない」と考えている。果肉が褐変しにくいので、飛行機の機内食や高級ホテルで出される可能性もある。

ニュージーランドのキウイブランド「ゼスプリ」は、生産者による農業協同組合が作られ、グローバルな市場展開を目指して、収穫期を調整することで、一年を通して世界各国に輸出している。「宝島甘露梨」は、中国と日本でも品種登録出願をしており、劉申権と林信山もゼスプリ・モデルを踏襲して、台湾本土種の梨を全世界に売り込むつもりだ。

台湾イチゴの新品種「台農1号」

もう一つの「十年一剣を磨く」育種の実例は、真っ赤なイチゴである。イチゴ狩りは台湾の冬のフルーツ狩りの定番となっている。

一昨年(2021年)、農業委員会農業試験所は、香りが強く、歯ごたえがあり、貯蔵や輸送に強いイチゴ「台豊1号」の育種に10年かけて成功したことを公表した。農家が栽培できるよう、すでに種苗業者にライセンスを付与している。農業試験場によると、一般人が種苗を購入した後、自家栽培した種苗株を、第三者に販売したり、譲渡したりすることは禁じられており、そうした場合、権利の侵害になるという。

イチゴ「台豊1号」の育種家であり、農業試験所作物遺伝資源係の副研究員である蕭翌柱は、2011年以来、病気に強く、香りの高いイチゴの品種を開発し、それらを交配してきたという。その後、増殖と選抜の長い道のりが続いた。

育種のプロセスは「本当に大変な作業だった」と蕭翌柱は、振り返る。受粉後、まず果実を収穫して、次に種子を得、組織培養の無菌播種技術を応用して3~4年かけて苗を育成し、弱いものを除き強いものを残し、健康な苗を得た後、数年にわたる増殖と系統選抜の実験研究を何年も展開したという。

この間、温室での病害虫試験、圃場での植え付け順化などを経て、現代の環境と消費者の嗜好に合った新品種のイチゴが選抜され、最終的に「台農1号」イチゴと命名されて出願し、品種登録がされたのである。育種のプロセスは、結果が出るまで「次々と難関を突破」しなければならない。

農業部農糧署によると、育成者権は農業における重要かつ独自の知的財産権であり、育種家の権利と利益を保護するだけでなく、新品種の研究開発におけるイノベーションを促し、国内農業の発展を促すものである。1988年。育成者権の保護を実施する『植物種苗法』(現在の『植物品種及種苗法』)が公布され、現在までに219種の植物、1,550品種に育成者権が付与されている。

台湾は、国際的に有名な蘭、パイナップル、マンゴー、茶葉などの農産物を誇っているが、育種技術はその成功の重要な要因の一つである。劉申権や農業試験所など育種専門家の知恵や努力によって、台湾農業の奥行きが深まり、台湾農業のソフトパワーが実証されてきた。育成者権が尊重されることで、生産者と消費者は、農業をより永続的に発展させることができるのだ。

「宝島甘露梨」の包装には、登録商標が印刷されている。(劉浩祐提供)

梱包ラインのスタッフは、梨の大きさによって格付けしている。

劉申権は、整備工から「梨おじいさん」に転身してから「宝島甘露梨」を育種するまでに20年の歳月と苦労を要した。

台中市后里区の梨農家・鄭豊源の梨園では、6月末に「宝島甘露梨」が収穫を迎える。

「宝島甘露梨」が大豊作となり、梨農家は、採れたての梨を運搬車両に満載して梱包ラインへ向かう。